[ASK]ラストのキーマンは誰か。そしてそのキーマンによって決定付けられた世界とは何か。 - sacsra / NOTE

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[ASK]ラストのキーマンは誰か。そしてそのキーマンによって決定付けられた世界とは何か。

SPEC ASK - List No.16
[Q] 全記録集P191・堤監督「ラストは現実の世界なのか、これまでの続きなのか、別の世界なのか、それを決定づける人物が最後に渋谷の雑踏に映ってる」とありますがそれは誰? そしてラストは一体どういう世界なんだと思いますか? DVD発売前にお聞きしたく…

 head_hearさんから頂きましたー。意外にもASK初投稿なんですね。なんか常連感がw

 パラレルワールドやガイアと朝倉の登場によって当麻父の発見は事実と結論付けされました。よってあのラストの渋谷交差点は「現実?見てきた物語の続き?見てきた物語の人物が違う人生で存在する別のバブル?」のどれも"有り得る"と解釈出来るようになってしまった。但しこの条件の中"あの世界がどの世界なのかを決定付けた人物がいる"と堤監督はおっしゃっている。

 映像を見てゆっくり考えようと思っていましたが、DISC到着前に回答を!とのご要望…!ええーーっ!(笑)

 そんな人物、いるのかなー。存在すること「だけ」で、それらを決定付することが出来る人物……。そもそも「現実」と「見てきた物語の続き」て違い何だ?………………( ´-`)……。というわけで(どんなわけだ)。『じゃあ一体誰だったらどういった決定に結び付ける事が出来るのか』考えてみました。

 

 


 

SPEC ASK - List No.16
[Q] 全記録集P191・堤監督「ラストは現実の世界なのか、これまでの続きなのか、別の世界なのか、それを決定づける人物が最後に渋谷の雑踏に映ってる」とありますがそれは誰? そしてラストは一体どういう世界なんだと思いますか? DVD発売前にお聞きしたく…

 

 色々悩みましたが、まとめると……。スパーン!

 [A] SPECの登場人物で、且つ元SPECホルダー。ラストはSPECの無い新しい世界。つまり『人種間戦争なんてものは二度と起こらない、二度と地球に核爆弾なんてものが落ちてくる日は来ない、と信じ立ち向かうことが出来る世界。

 

 思考がだいぶ空中を彷徨ったので、要するに……的に、私的解釈を先に書いておきました。以下、暗中模索な彷徨いの軌跡……。

 

***

 

 ひとまずシナリオ本から西荻先生の描かれたラストを確認しました。

 ーーー日本中の劇場で気づく人が20人くらいの小さなサイズで当麻がキャリーバッグを引く姿を写してください。
 ーーー但し当麻の姿自体は写らないように。

 (色々省略)

 これを読む限り、西荻先生の描いたラストには当麻がいました、逆の言い方をすれば当麻しかいなかった。でも、劇場には当麻と一緒に、瀬文がいた。堤監督の「ラストについては、植田さん、最初から決めていたようですよ」発言も加味して察すると、西荻先生からだけではなく、植田さんの描いていたラストイメージもごっそり足されたことに対する発言なように感じます。

 だから、多分、キャリーバッグだけじゃ伝えきれなかった何かが、植田Pによってあそこに加えられたのだと、わたしは考えました。またその伝えたかったものは、西荻先生が当初伝えたかったものがAだとするならばA+Bのようなものだと。ハンバーグ+エビフライみたいな。Aが少し変更になる、とか、そういう事ではなく、丸々違う何か意図が付け加えられたのではないかと。

 

ラストが当麻だけだった場合(=決定づけた人物が当麻だった場合)

 あのシナリオ通りのラストだった場合。グレースーツに赤のキャリーバッグ+ガイアの「歴史が巻き戻されていることに気がつく者はいなかった、当麻を除いて」「行きましょう、アサクラ」の発言から、結果的に当麻だけが真実にたどり着いた。そして今も当麻は生きている。瀬文に出会った前、瀬文と出会った頃、どこの時間軸なのか、新しいバブルなのか、当麻に記憶があるのか無いのか、何も分からないが、とにかく当麻は今日も歩いている、と感じると思います。

 そして多分、それで良い。それが西荻先生の出された答えの1つなんだと思います。但し、答えはこれだけじゃない。これに更に何かが植田さん達によって付け加えられた。

 

ラストが当麻にプラス瀬文の場合(=決定づけた人物が瀬文だった場合)

 映画版のラストでは当麻の横に瀬文がいました。シナリオ本からの明らかなる変更です。瀬文がいることで解釈はどう変わるのか。てか、変わったというより、あのラストに対する率直な解釈・感想ですが(笑)。

 当麻の横に瀬文がいることで、別のバブルを作り上げた二人の新しい物語と解釈していました。「人の思いが人を世界を存在させる」というフレーズもラストシーンを語る上では大切なキーフレーズになると思うのですが、瀬文がいたことで、当麻と瀬文が互いに強く相手を想い合い、想い合った結果奇跡を起こし、新しいバブルを作りそのバブルで互いに近しく存在しあう事が出来た、と解釈しました。

 どんな時だって二人の関係は男女のそれと言うには余りにズレたもの。キスシーンらしきものだって「餃子臭え゛!!」でシリアスを崩され「…あ、あれ…今のはキスシーンでは無かった…んだな?」と首を傾げつつ、苦笑させられてきました。そんな二人に、あんな笑い抜きの、ロマンチックな夢を見せられたわけです。……ああ本当に終わってしまったんだな。そして私達はいつだって知らない誰かに支えられているのだよな、今があるのはそのお陰なのだよな、当たり前のことなのにすぐに忘れてしまうな……、なんて帰りの空を見上げて誰に対するでもない感謝の念に涙したものです。

 だからこそガイアの「行きましょう」も、そんな二人の末路を覗きながら「さて。じゃあそろそろここを立ち去りましょうか。やれやれ、よっこらしょーい。」と言っている風に聞こえたのです。

 とは言え、過去に遡った世界なのか、新しく創られた世界なのかは、あれを見るだけでは判別が出来ない。堤監督が話された決定打にしては、少々メッセージ性に欠けるような…?「どんな世界?」に対する答えが、いまいち浮かばない。素敵なラストだったし、シナリオからの明らかなる変更ですが、堤監督のあの意味深な言葉の真意に対する答えとしては何かちょっと足りない。気がする。

 

ラストが当麻と瀬文以外の場合※但しSPEC登場人物(例えばサトリなど)

 当麻でも瀬文でもなく、別の人物。SPECに登場した人物があの交差点に写っていたとしたら。例えばサトリが写っていたと思うんですが、サトリをあそこに写したことに大きな意味があるのだとしたら。解釈はどう変わるか?……。

 ……おや?サトリがあそこにいた事で、当麻と瀬文がお互いの事だけを想い合って作り上げただけのバブルでは無いことに………なりそうですね。勿論当麻の事ですから仲間の存在も「忘れられるわけがない、こんな大切なこと」なわけなんで、みんなのことを想っているとは思いますが、当麻とサトリは交差点で交わらないんですよね。別々の方向へ向かって歩いていく。雑踏に消えていく。何となく今後も一生出会わないことを予感させる。

 当麻たちとサトリが出会わない全く新しいバブル。そういえば誰かさんの台詞に「役者が変われば結末も変わる……」というような意味の言葉がありました。

 あの交差点で存在した当麻と瀬文が、今度も刑事をやっているとは限らない。サトリも占い師をやっているとは限らない。SPECを持っているとも限らない。SPECが存在している世界とも限らない。

 SPECが存在しないならば未詳も無い。当麻は刑事になっていない。人種間戦争だって当然起こらない。核爆弾のスイッチだって、誰も押さない。

 …………。『SPECが存在しない世界』、もしかしてこれが裏メッセージじゃないですか?

 

ラストがSPEC登場人物以外の場合※主に現実世界に存在する人(植田Pとか今井Pとかでしょうか)

 これは「現実世界の**さんだ」と認識出来れば良いですが、難しいような気が。「当麻を演じた戸田さんだ」みたいな事ですよね。撮影関係者を劇中に写して、それに意味を持たせるとするならば、確実に現実世界とリンクさせなければならない。例えばベタですけど「はい、カット~」とかいって撮影陣が片付けを始めるような。ザ・マジックアワーのエンドロールの更なるリアル版のような演出をするか。或いはその日その時、そこにいたことが現実として認知出来るような。リアルにある新聞を持っているとか、SPEC台本を持っているとか。でしょうか。うーん。そもそもやはり前提条件を成立させること自体が難しい気がします。

 で、じゃあ実際仮に成立させることが出来たとして、じゃあどうなの?ってところですが。その演出を使う方法としては「当麻と瀬文は現実に、生きているかもしれない。いつかすれ違うことがあるかもしれない」という意味になるんでしょうか。でもいやいや、うーん。それはあまりにも「むちゃくちゃだなオイ!」ですよね。

 これを実現したところで……。決定打云々の前に、そもそもどれにも該当しない気がします。SPECらしい楽しみのひとつではありますけど!小ネタ探しでまた探すわけですが(笑)今井Pどこだーーどこにいるーーみたいなwただ、監督たちが残した最後のメッセージが、「そこに(例えば)今井Pがいること」だとしたらちょっと何を伝えようとたのか分からないです。

 

***

 

 というわけで、私的解釈では当麻瀬文以外のSPECの登場人物、そしてその人物は元SPECホルダーであること、その人が写っていることに意味がある、ような気がします。そしてその人物が映っていることによる価値は「SPECを持つ者などいない世界、つまり人種間戦争なんてものが起こらない世界」になっていることなのだと思うのです。誰も悲しい死になんて遭わない。戦争なんか起こらない、地球に核爆弾なんか降る日は二度と来ない。そういう世界が描かれたのではないでしょうか。

 そもそも、あのラストのバブルがどのバブルかなんて、やっぱりあの一瞬の交差だけで特定するのは出来ないような気がします。時間軸では絞れない。じゃあ、それならば、あの最後の見せてくれた当麻と瀬文がいる世界が「どんな世界だったのか」、それを考えたい。そして、それを考えるのであれば、次こそ当麻と瀬文が幸せに暮らす新しい世界であることを願いたい。戦争なんて起こらない未来であることを願いたい。

 セカイと潤が見てきた歴史によれば、SPECが無いだけでは人類は戦争から免れることは無かったようです。でも、今度のあのバブルにも当麻がいた。そして前のバブルと違って「SPECが存在しない」世界だったとしたら……。SPECが存在しない世界に「人」として当麻が存在した過去は無い。そしてセカイ君が地球にいなかった事も無い。つまり、全くの新しい世界。何も予想出来ない世界。

 戦争が起こらない世界、とは言い切れないかもしれない。でも戦争が起こらないで済む可能性のある世界であると思うのです。「人類の可能性を信じる者と、閉ざそうとする者との戦い」は、ここに終結することが出来た。そして、これからも人類の可能性を信じていこうと思うラストを見せてくれたのではないかな、なんて思います。それが私の答えです。

 「真実は己の中に」。

 ーーーそれでも私は信じているよ。人間の思いの力があればきっと歴史を正しい方向へ導くことができるのだと。

 

 それからSPECの裏の主役?ミジンコ。ミジンコが多様されたのは生命の始まり、起源、DNA、テロメアに対するメッセージだと思って見てきましたが、それ以外にも意味を感じます。未詳にあったミジンコ水槽。あれを、代わる代わるみんな覗いてきました。そんな未詳と同じようにガイア達もまたバブルをああやって覗き終末を見守ったんですよね。……私達観客も世に多々あるレンズ越しに撮られた物語の中からSPECを選び覗き、最後の最期を見守った。看取った。現実世界とSPECという物語のシンクロ。現実というリアルの世界から物語の世界への干渉。

 水槽の中でどんどん減っていくミジンコを増やしたり、時にクラゲに変えたり、時にシーモンキーに変えたり。それこそ、まるごと「新しい水槽に入れ替えたり」。人間がやっていることとガイアがやっていること、それほど変わりませんね…。

 

***

 

 ところで当麻がにじみとなって無間地獄に堕ち続けている時。巡った世界は、当麻のいない同じ世界(過去に当麻が一緒に捜査した事件の、当麻だけが消えている世界)と、当麻は経験していない別の世界(野々村と吉川が横恋慕事件などを捜査してる別の世界)と、当麻がいる・いた世界(瀬文が作り上げた、瀬文が牢獄にいる世界)の3種類があったと思うんですが、そのどこにも、確かサトリは出てきていなかったんじゃないでしたっけ。

 偶然かもしれませんが、でももしもそうだとするならば、あの交差点ですれ違うのはサトリじゃなければならなかった、可能性があると思うのです。勿論、にじみの時に他の姿で登場していないのであれば、冷泉でも海野でも古戸さんでも良いんですけれど。あ、でも、ニノマエと津田以外、かな?あの二人だとまた意味合いが変わってきてしまう。ニノマエ扮する神木君がいたら、その成長スピードから陽太にまたSPECがあるのだと感じてしまうし、津田がいたら、風貌が宗家津田じゃない場合は今もなおSPECホルダーとの戦いが零課で行われているのか、と考えてしまう。=SPECが存在する世界と決定されてしまう。

 とにかくにじみのシーンで誰がどうやって映っていたのか、確認したいです。確認が出来れば、「SPECの存在しない世界」という推論により近づける気がします。

 

 それから当麻がにじみの世界。雅ちゃんが一人、警視庁跡地のような場所でメーテルになっているバブルがありましたが、あそこに当麻が堕ちてくることが無かったのは少し救われました。お陰で、あの未来自体が、消滅したとも考えられるから。

 ラストシーン。誰が映っているんでしょうか。楽しみです!

 

 

 それから、ラストシーンの撮影場所が渋谷だった点で談義もあるようですが、わたしはそこにはあまり拘りは感じていないです。とにかく大きな交差点・雑踏という場所のイメージに渋谷のスクランブル交差点がピッタリ当てはまっただけ(ただのロケ地という認識)な気がします。大事なのはラストシーンが「交差点」であったということ。多くの人が交差する場所、多くの人がそれぞれ違う目的地に向かって交差して進む最たる場所。当麻の名前が"紗綾"だった理由はここにあったのではないか、と軽く身震いしながらまとめた小ネタは、今も良い思い出です。

 ……はっ。もしやラストシーンで写したかったのは「交差点」だったりして!?(笑)

 

 


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過去に書いた記事もちょいちょい書きなおしたりします。記事作成日はリスト調整のため、手動でいじる事が多いため、観賞順ではありません。
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