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クレイマー、クレイマー

初見
[あらすじ]

 テッドとジョアンナの結婚生活は8年目を迎え、一人息子ビリーも7歳となったクレイマー家。ジョアンナは、かねてより家庭を顧みず仕事優先の生活を送るテッドに不満を募らせていた。そしてある日、ついに彼女は自立を決断し、家を出て行ってしまう。一転して妻に任せっきりとなっていた家事と仕事の両立をせざるを得なくなったテッド。しかし始めは覚束ないものの、次第に2人の生活にも慣れ、これまで以上に父と子の絆を強めていく。だがそんな中、ジョアンナが突然養育権を訴えてくる。失業したことも重なってテッドに不利な形で裁判が進み、はたして養育権はジョアンナ側に。こうして、テッドとビリーは父子最後の朝食を迎えるのだが…。 

 神棚に飾ってきたクレイマー、クレイマーをついに見ました。メリル主演と思っていたけれど、どちらかと言えばダスティン・ホフマン主演ですね。

 最近では良くある話なんだけど、当時、女が子供を放って家を飛び出すなんて、今以上に理解を得られない時代だったんじゃないかと。世間からの役に対する理解も浅かったのではないかと。それでも震える怯えたようなメリルの別れのスタートに、ああ、メリル・ストリープという女優はこんなに若くて美しい頃から、既に逞しく果敢に難役を選んできたんだなあと思いました。

 作品はご多聞に違わず素晴らしかった。はあー。いつまでも余韻の残る作品でした。突然専業主婦が家を飛び出し残された激務な父と7歳の子。2人で頑張って生きていく。子供の学年すら知らなかった父が、いつの間にか何度も何度も子の姿を振り返っていく微笑ましさ。チョコチップアイス。そしてフレンチトースト。

 

 

 で、まあ。

 泣けてしまいました。"メリル演じる元妻に"。……おいおいそこは夫にだろう、と思われるかもしれませんが……(笑)。

 

 メリル演じた母は、多分。「あの男だから子供のことは適当にシッター雇うなり女作るなりして自分は我関せず、どうせ仕事が第一のままだわ」と思っていたはずなんです。それがあの見違える夫の姿に。想像も出来なかった子を大事にする夫の姿に。それでも裁判中でも自分に見せる優しさに。「わたしは、どうしてこんな優しい男を、素晴らしい男でいさせてあげられなかったのだろうか」と自分を責めたんじゃないかなと。思うんです。あんまりに素敵すぎるダスティン・ホフマンの姿が、逆にメリルの心を締め付けた。完全にわたし、メリルに共感・共鳴して見てました。わたしも優しくて良い男をちゃんと優しくて良い男でいさせてあげられる自信が無いから。

 

***

 

 1980年。結婚前に自立して働いていた彼女。つまり、元々大変に優秀で勇敢で聡明で活発な女性だったんだと想像します。そんな彼女が家にこもり、ひたすら子を育て、夫とは対話出来ない日々。今の時代なら誰にだって言える愚痴で誰だって理解出来る話ですが、当時は女が家を守ることが当たり前で当然だった。当然のことが出来ない、苦しい、それを誰にも理解してもらえない、話も聞いてもらえない、毎日のように自分を責めていたんだと思うんです。メリルは家を飛び出していったけれど、家を出た後も一日足りとて母ではない日は無かった。それに家を飛び出していったのだって本当にギリギリまで頑張って7歳まで育て上げてからのこと。一番手がかかる時期を1人でしっかりと乗り越え、あんなに良い子に育てていた。メリルは子を愛していなかったわけじゃない、ただ自分の夢や自分の世界を、愛して愛してやまない子供のせいにしてしまう自分に苦しんだからなのじゃないかと思うのです。人生の後悔をいつか子供に八つ当たりしてしまうのではないかと。それどころか、心身ともに疲れきり日々自分の心が不安定になっていく恐怖の闇に飲み込まれ、いつか無理心中を図ってしまうのではないか、なんて事も考えていたんじゃないかと思うのです。結局、自分を守るため、我が子を守るため、とにかくこのままではいけない、このままでは危険、精神的にギリギリのところまで追い詰められての必死の行動だったと思うのです。

 

 繰り返しますが彼女は一日だって母じゃない日は無かった。もちろん全てを放り投げて一人の時間を得て、という常識的では無い行動を犯してしまいましたが、我が子を忘れたりはしていなかった。そう思うのは、彼女が仕事で成功を収めた点。元々優秀な資質であったとはいえ前線から10年も離れていた、ましてやあの時代です。恐らく彼女は現実にある嫌なことを忘れるために一心不乱に夢中になって無心になって働いたように思うんです。働き金銭的にも安定し、また人に認められることで承認欲求が満たされ、自身の社会的価値、自分自身を客観的に承認することが出来、そしてやっと心を取り戻すことが出来た。そう思うのです。結果が得られたから、彼女は息を吹き返すことが出来た。

 そして愛する我が子をしっかりと守り通せる自信を取り戻した。いや、むしろ自信を初めて持てたのだと思うのです。ダスティンとの日々では母の仕事は毎日が不安で堪らなかった、母親だって一年生なんだから。聡明であるからこそ物事を複雑に考えすぎてしまって余計に苦しんできた。つまり、一度だって今までは母親としての自信を持てたことは無かったのではないかな、と思うのです。彼と離れ、子と離れ、自立し、新しいパートナーを作るまでに心の余裕を取り戻して、改めて我が子の母としてやっていく自信が持てた。彼女自身が初めて自分で冷静に人生を選択出来たのだと思うのです。

 

 彼女が子供を迎えに行く選択をしてからは、それまで以上の覚悟も決めたはずです。突然母がいなくなってしまった子供の心の傷を、とても心配していたはずです。自分が傷つけた分、自分も傷ついた経験がある分、本当に決死の覚悟で迎えに行ったのだと。父親に悪口を吹きこまれ、母を憎んでいることも覚悟していたはずです。だからこそ、自分を受け入れてくれるのか。どうやって謝ったらいいか。どうやって弁解したらいいのか。自分が与えた傷によって笑わない子になっていたらどうしたらいいのか。唯一の愛情をくれた母を突然失った坊やが、ボロボロになっていたらどうしたらいいのかと、考えたはずです。あの時のメリルの行動は自分勝手だったとも言える。仕方が無かったとも言える。でもどちらも子供には関係の無いこと。自分がいないと眠れない坊や、毎日毎朝毎晩、一日中、8年間、一日たりとて離れたことのなかった坊や。そんな子供にちゃんとお別れも言わずに突然と姿をくらました自分。坊やとの再会は、母にとってとても大きな覚悟を要したことでしょう。

 

 でもそんな不安は、本当に呆気無く払拭される。弾ける笑顔で父と学校へ通う姿。何度も何度も子の後ろ姿を振り返るダスティンの姿。しっかりと愛を与えて育ててくれていることを知るのです。そして面会。母の姿を見るなり、とびきりの笑顔で喜んで駆け寄って抱きつく無邪気な我が子。母を憎むことのないよう配慮して育ててくれた事が全て伝わる。「どうしてボクを捨てたの?」なんて言葉は一切出てこない。子供から発せられる言葉は「ママ!ママ愛してるよ!」だけ。とびきりの笑顔だけ。これに、メリルは、どれだけ救われただろう。本当にどれだけ、救われただろう。

 

***

 

 メリルの裁判所でのエレベーターでの叫び。ごめんなさい、ごめんなさい。そんな、こんな事になるなんて。ごめんなさい。そんなつもりは無かった。本当に、こんな事になるなんて。あの言葉には、あなたはわたしを傷つけないようずっと配慮してくれたのに、わたしはまたあなたを傷つけてしまった、という後悔の爆発。メリルを責めることなく、でも目を合わせることもなく、ただ力無くエレベーターを降りて行く夫。

 

***

 

 親権を妻に取られ、残りの少しの日々を子と過ごす父。何よりも苦しいのに、坊やと一緒に暮らすために奔走し奔走し感情を爆発させてきた父なのに、そんな姿を見せることなくいつもと変わらない穏やかな笑顔で日々を過ごす。全ては子供に余計な心配をかけないため。そして伝説のシーン。フレンチトースト。熟練の連携プレー。二人っきりの初日から積み上げてきた2人の日々が何も言わなくても伝わってきて堪らなく苦しい。ダスティンの優しい笑顔がまた苦しい。坊やが言う「あっち、嫌だったら、帰ってきてもいい?」。この言葉を向けられた父はどれだけ苦しかっただろう。どれだけ切なかっただろう。どれだけ悔しかっただろう。どれだけ離れたくないと、離したくないと改めて感じただろう。でも、父は耐える。そして「もちろんいいよ。でもあっちも大丈夫だよ、坊や、安心して」と、優しい顔で同じ目線で諭す。その姿がまた泣ける。あー、書きながらまたボロボロ泣いてしまう!(笑)わたしはもう完全にメリル視点で見てしまっているのですが、苦しくて苦しくて本当にボロボロと涙が込み上げては溢れ。

 

***

 

 もうこのシーン、思い出すだけで苦しくて呼吸を忘れてしまいますね……(笑)

 最後の最後の妻メリルの決断。ちゃんと夫と上手に夫婦生活を送れなかった事。夫に家事・育児なんて出来るわけが無いと思っているにも関わらず大事な息子を置き去りにした事。離れてからの18ヶ月、メリルは自分の世界を持ち直し、恋人も出来、充実した日々を過ごしている間、かたや夫はそれまで一番の生きがいだった仕事を失ったのに、一切息子やメリルを責めることなく後悔も見せず、しっかりと息子を愛し、息子を生きがいにしてくれていた事。最初から最後まで一度だってメリルを責めたりしなかったこと。

 「あなたはたった18ヶ月だけど、わたしは8年間一時も片時も側を離れずに過ごしてきたわ」。メリルの裁判での冒頭の言葉もすごく良く分かる。メリルの気持ちが凄く分かる。分かりすぎて何にも書けない。ただ、どうして一緒に暮らしている時に、夫が子を可愛がれるように、子が夫になつくようにしてあげられなかったのだろう。どうして自分が愛し結婚した人を信じられなかったのだろう、とまた自分を責めたのだろうと思います。

 

 最後の決断を告げるあのメリルのシーンは、また引き裂かれるような痛みと苦しみを感じさせながらも美しい演技に号泣でした。別にメリルだけが悪いわけじゃない。別にダスティンだけが悪かったわけでもない。じゃあどうしたら良かったんでしょうか。こうなる前に何をすべきだったのでしょうか。わたしには分からない。夫婦の数だけ、家族の数だけ、答えがあって、事情があって、みんな違う。わたしには分からないのです。2人はどうして間違ってしまったのか、お互いの歩み寄りが足りなかった?お互いにわかりあえていなかった?お互いにちょっとずつ歩み寄ってお互いがちょっとずつ嬉しいようにお互いが努力すれば良かった?……所詮はキレイごとです。メリルは、育児にも手を抜かないから働きに出たいと相談していたし、ダスティンはそれを鼻で笑って聞いてくれなかった。日々のことも全てメリルに任せっきりで自分は朝から晩まで外にしか関心が無かった。ダスティンが仕事と育児を必死ながらも両立させたことで、逃げ出し外で男を作り都合よく子供を引き取りにきたメリルが悪い女のように解釈される方もいるようですが、違う。そうじゃない。違う。でも、そうじゃないとも言い切れない。事実そうでもある。

 とにかく、結果的に、坊やが笑っていたから。それが全てだと。母も精神を壊すことなく人生を歩める脚力を持った。父も仕事では無い生きがいを持つことが出来た。それが全てだと。残る余韻に人生を考えさせられる作品でした。ハッピーエンドでは無いけれど、きっと3人、今後の人生でもちゃんと笑って前を向いて生きていくことが出来るよね、と思ったのでありました。

 

 今日は小田和正さんの"東京の空"を聞いてました。「頑張っても頑張ってもうまくいかない。でも気づかないところで、誰かがきっと見てる。あの頃みたいに君に、優しく出来ているかな、今も。一番大切なのはその笑顔。あの頃と同じ。」

過去に書いた記事もちょいちょい書きなおしたりします。記事作成日はリスト調整のため、手動でいじる事が多いため、観賞順ではありません。
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