風立ちぬ - sacsra / NOTE

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風立ちぬ

初見
[あらすじ]

 大正から昭和にかけての日本。戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、世間は閉塞感に覆われていた。航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会。二人は恋に落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう。

 実は期待をしないで見にいった派でした。冒頭ではちょっと寝てしまったくらい。(無事に起こしてもらえたので良かったです)

 でも、じわじわと込み上げ、胸いっぱいになって、抑えられなくなって、ボロボロ涙が溢れました。何に一体こんなに泣いているのか自分でも訳も分からず、でも心が締め付けられて。ただただスクリーンに映る世界は爽やかで、それがまたわたしを酷く泣かせました。

 涙が止まらなくて、鼻水も出てきてしまって、息を潜め、歯を食いしばって、涙を堪えて。なのに「おわり」のひらがなが画面いっぱいに。ついには堪えられなくて声を上げて泣いてしまいました。

 周りは全然泣いていないし、一緒に見に行った人も全然泣いていないし、丁度浴衣を着て化粧もしっかりとしていたので泣きたくなかったのだけれど。

 でも、この映画を見て、涙が出る人間で良かったと。人の真剣さや真摯さを感じる事ができる事ができて、良かったと。わたしはわたしのことが少し好きになれたように思います。

 

 ユーミンの曲が流れだして、少しずつ心が落ち着いて、慌てて涙を抑えたのでした。

 多くの映画では、劇中にドラマティックなシーンで、素敵な音楽を流して、それがまた心を揺さぶったりしますけれど、そういえばこの映画には途中にそういう音楽は流れなかったんじゃないでしょうか。風や飛行機の音、雨の音、走る音、書く音、キスの音、歌声、印象的なシーンはどこもBGMなんて無かったように思います。とにかく静かで穏やかで淡々と粛々と誠実でロマンチックで底抜けに爽やかでした。

 

====

 

 このお話には、様々な語り尽くせないほどの物語が詰め込まれていて。

 大震災、貧富の差、世界恐慌、ミノムシみたいな結核病棟、ワイン・タバコ・レコード、着物と洋服が混在した時代。それから二郎。夢の実現に向かう努力に次ぐ努力。繰り返される無理難題。徹夜続きの日々。偽善呼ばわり。そして何よりも、自分の夢が殺戮兵器となる事実。ただ純粋にまっすぐに美しい飛行機を作りたかっただけの二郎の世界。取り巻く環境。

 

 苦悩だって葛藤だって勿論あったと思う。でもあまりそこは詳しく描写されてない。

 例えば「僕たちは殺人兵器を作っているんじゃないんだ」などと友人がポツリと二郎に話し、それに頷くなど。

 例えばお菓子をあげようとする二郎に「それは偽善だ」と言われるなど。

 例えば冒頭でドイツ語の本を借りる際に「兄さんの辞書で読みます」と言ったけれど兄は一度足りとも出て来なかった。既に死んでいたのかもしれない、など。

 例えを言い出したらキリが無い。でもそういう細かな悲しみや苦悩や絶望にそれぞれあんまり触れない。たくさんある悲しみの少しだけをすこーしだけ切り取って見せてくれている。

 

 そんな二郎にも感情をむき出しにするシーンがあった。妻の緊急時だ。大粒の涙を流しながら急行する。大粒の涙を流しながら設計図を書き続ける。

 

 鑑賞直後は二郎が、幼少からひたすらまっすぐ空を目指し、苦労して苦労して苦労して作り上げたものが一瞬で燃え、焼け野原になったところに、心がグっとしてしまって。

 彼は何のために、そこまで、なんで、そこまで頑張れたのか。頑張らなければならなかったのか。彼はどれだけ苦悩し迷い後悔し決断してきたのか。彼は、どれだけ涙を流したのか。人を殺す兵器を作るたびに褒められ尊敬されるというのは、どんな気持ちだったのだろうか。見えないところで責められもしたんじゃないだろうか、と。そしてそんな自分のことを、自分でどう思っていたのかと。

 何も感じないただただまっすぐ夢に向かって突き進む猪突猛進者、なんて印象はわたしには全然持てなかった。正しいと思うことをシンプルにこなす、見返りを求めない、実直で優しく、自分の事以上に周りを心配する人柄が存分に冒頭の各所で表現されていたから。

 

 「まっすぐ進むことしか出来ない創作者」「好きで始めたこと、いつの間にか”しなければならなくなってしまった”人」

 そんな風に思ったら宮崎駿さん。もしかしたら、二郎に自身を投影したんじゃないか、なんて考えたりもして。また涙が溢れて。また、無心で楽しくて楽しくて仕事をしていたわたしに、周りからの期待やオーダーが高まって苦悩した時期ともシンクロして、泣いてしまいました。好きでやっていたことが義務になり、責任がついてきて、遂には自分の結果が誰かの人生に影響するようになり。ただ、余計な事を考えれば考えるほど悩んで進めなくなって、だからもう無心で頑張るしか当時のわたしには出来なかった。二郎や宮崎駿さんなどと比べてはならないが、自分のその頃の苦しさや悔しさや哀しさがそこにシンクロして思い出して泣いてしまったのだ。

 

 

 見終わった直後は、二郎の恋物語は、オマケのようなものかな、なんて思っていた。元々わたし自身がラブロマンスをあまり好まない性格なのも大きいと思うが、キスシーンも多く感じたし、キスの音までして。少しギクリとしてしまった。少し不快に感じたと言っても過言では無いかもしれない。美しい恋物語だけれど、わたしが心を揺らされたのは夫婦の部分では無いと思っていた。

 でも時間が経って改めて映画を思い出すと、思い出すのは二郎の声で。

 「ごめんね、遅くなってしまって。」「ぼくたちには時間が無いんです。」「帰らないで。ここにいて。」「片手で計算軸を使いこなす選手権があったら優勝できるよ。」「ああタバコが吸いたい。ちょっとだけ、手、離してもいい?」「だめだよ。」「だめだよ。」

 ぽつり、ぽつり、と話す二郎の実直で不器用そうな声が、耳に残っているのだ。また、わたしの記憶に残っている二郎の言葉は全て奈穂子に向けられたものだ。考えを改めざるを得ない。素直に、2人の純愛は、この物語に必要なファクターだ。

 

 

 二郎の見る夢に出てくるカプローニ伯爵はいくつになっても二郎のことを「日本の少年」と呼びかけていた。二郎は最初に初めてカプローニ伯爵の夢を見て以来、以降は実際は、夢ではなくて、妄想、していたんじゃないかと思う。カプローニ伯爵に夢を語った初心を守る為に、自己の葛藤から脱するために、見失わないように。自分をコントロール、慰め、自己防衛、していたんじゃないかと思う。

 全てが終わった二郎が見た最後の夢は少年の時に見た最初の夢の場所。そしてカプローニ伯爵の言葉。「やあ、日本の少年。夢は叶ったのかい。」「生きねば。君は生きている。君は生きなければならない。」「ところでその前に美味しいワインがあるんだ、少し寄って行かないか。」

 わたしは、これを「二郎。自分の夢は叶ったと言えるのか?叶ったと言っていいのだろうか?愛する人達を失い、これからも失っていく。景色だってどんどん変わっている。でも自分は生きなければならない。まだ全力で生きねばならない。夢のゴールにはたどりついてしまったけれど、まだ生きねばならない。…だけど、少し、少しだけ休んでもいいだろうか。少しだけ、休ませてもらえないだろうか」という声に聞こえた。二郎の悲痛の声に聞こえた。

 

 

 うまく言えないし、うまく説明出来ないけれど、一生懸命、悲しく優しく辛く、だけど爽やかで、それがまた涙をさそうんだけど、達成感のようなものもあって。

 

 映画館でも泣きましたが、翌日にも映画を思い出して泣いてしまいました。

 わたしはこの映画、好きです。この映画を作ってくれてありがとうございましたと言いたい。

 

(追記)

 なにやらメイキングの裏話にも中々楽しい話があるようなので、そのあたりを少し調べて笑ったり泣いたりしたりしようと思います。もう一度、観に行きたい。

 

 (追記2)8/10

 なんだか他の方々の風立ちぬの感想が非常に面白いので、良い感想だなあと思ったサイトをメモっときます。

・やや最果てのブログ
http://d.hatena.ne.jp/sunagi/20130801/1375336380

・ときどき休みます
http://karigari.hatenablog.com/entry/2013/07/26/000000

 ・たき日記
http://www.takinikki.com/2013/08/blog-post.html

 

過去に書いた記事もちょいちょい書きなおしたりします。記事作成日はリスト調整のため、手動でいじる事が多いため、観賞順ではありません。
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